ぼくが一重である理由。と会社をやめた理由。
にしおかこうじです。
ぶろぐはじめました。
西岡幸司
23歳
男
新卒で入った会社を7か月で退社して、今はフリーターしてます。
25歳くらいまでは、とにかく若いうちにしかできないような経験をしていきます。
京都生まれ京都育ち 高知が第2の故郷
西岡家の3男・末っ子としてこの世に生を受けました。兄が2人います。
高校まで12年間野球してました。
老け顔です。薄口しょうゆ顔と言われます。顔に存在感はありません。w
一重です。どうがんばっても二重にはなれません。
これは京都のせいです。この前実家で小学校の卒業アルバム見て驚愕しました。
クラスの一重率が90パーセントでした。。。。京都の文化です。
いいじゃなですか、切れ長の細い目!最近流行りだし。綾野剛とか羽生君とか。
昔のひとはみんな一重ですよ。一重まじかっこいい。貴族。
だからぼくの一重は、古代から続く生粋の日本人である証拠です。
これで僕が一重である理由は説明しましたね。
さて、
ぼくは、自分でいうのもなんですが、大抵のことはできます。
スポーツとか割と得意で、バレーはジャンプサーブとかスパイクできるし、バスケも人並み以上にできます。サッカーも好きで人集めてサッカー大会とか開催しちゃいます。
アルバイトも、営業、結婚式場、ホール、工場とかいろいろ経験してきましたが、基本的になんでもうまくできます。外面的に人当たりもよくて、嫌われるのは嫌いです。
1つのことを長く。というよりは、新しいことをたくさん。というタイプです。
会社をやめた理由もそこにあります。
ぼくは1つのことで落ち着くのが苦手なんです。というかできないんです。
性格的に。
ぼくは大学を卒業して、高知県の山奥にある中小企業の木材会社に就職しました。
ほんとに山奥。四国山脈ど真ん中。めちゃくちゃきれいな川が流れる地域でした。
朝7:30に出社して、工場でひたすら製品作って、フォークリフトなんかも乗り回して、17時の定時帰宅する。ごはんとお風呂を済ませて、次の日の弁当作って、眠る。そしてまた朝から働く。という日々でした。
ド地方だから交流というのも少なく、話し相手は工場のおっちゃんおばちゃんくらいでした。商工会青年部に入ったり、地元のソフトボールチームに入れてもらったり、移住生活は割と充実してましたよ。悪くなかった。
けどね、
会社で働いているとき、今この22~23歳という時期に、会社という1つのところにとどまる意味はなんだ、この仕事をやり続ける意味ってなんだ?と考えたときに答えが出せなかったんです。
定額の給料もらって、嫌なことも我慢して、外に出れないままこの仕事をする意味ってあるのか?って。
もちろん僕のいた会社は、これから伸びていく会社だと思っています。(何をエラそうに。)新事業も始まるし、経営陣の意識はすごく高いし、現に売り上げもあがっていますし。
営業配属を予定より早めるとか、海外に転勤するかもって話もありました。それは自分で望んでいたことだったけど、僕はやめちゃいました。
僕は働くことのもやもやを我慢して、その道で生きていく覚悟が持てませんでした。
他のことができなくなってしまう恐怖に押しつぶされそうになって、
もっと世界広げようと思って自分が入りたいと言った会社を飛び出してきました。
我慢弱いのか、欲張りなのか、落ち着きがないのか、柔軟なのか。
なんでもある程度できてしまうからこそ、1つのことに決めるのができません。
就職活動しているときからずっと悩んでました。
プロってなんだろう?って。
まだ答えは出てません、が、ずっと探していこうと思ってます。
あと2年くらいは、1つに決めないで、いろいろ挑戦していきます。
今は、リゾートバイト中です。
ハチ北にある旅館で住み込みしてます。
休日はスノーボードし放題ですよ!まじ楽しい。
自分と向き合える時間もたくさんあるので、今後の生活も考えながら3月末までいますよ!
まあ、人生模索中ですよ!成長中!